第8回前編 オフィスの場所が競争力になる時代 業務と日常機能を融合させる都市開発

公開日 : 2026.07.27

企業はどこに本社を置くべきか。長らく、この問いの答えは不動産コストや交通利便性で語られてきた。しかし今、世界の経営者たちは「場所そのものが生産性を左右する」という認識に転換し、この問いに根本から向き合い直している。たとえばJPモルガン・チェースはニューヨークのパークアベニューに数十億ドルを投じて新本社ビルを建設。街区を丸ごと一つ占める巨大なビルで、その中心には大規模な公共広場が設けられ、レストランや店舗、緑地などが一体となっている。ファイザーやブラックロックも米国で最大規模の再開発エリアであるニューヨークのハドソンヤードに新たな拠点を構えた。ロンドンでは、操車場の跡地であるキングスクロス駅周辺にグーグルやメタ、ユニバーサル ミュージックが集積し、創造産業の一大拠点へと生まれ変わった。

筆者の葉村 真樹らBCGのエキスパートは、カナダ・トロント大学の世界的な都市経済学者のリチャード・フロリダと共同研究を行い、Harvard Business Review(2026年5-6月号)で論文「The Rise of the Urban Knowledge Campus」を発表。この新しい都市拠点モデルを「ナレッジ・キャンパス」と定義した。調査は世界13都市39のビジネス街が対象で、東京がこのモデルの最先進地であると結論付けた(分析記事はこちら)。

これは、いま日本が進める重要な地方政策と結びつく。政府は2026年7月に「地域未来戦略」を閣議決定した。地方に大規模投資を呼び込み、地域ごとに産業クラスターの戦略的な形成を推進している。全国各地に産業クラスターを花開かせ、世界をリードする技術とビジネスを地方から生み出そうとする構想だ。だが、投資を呼び込みインフラを整えるだけでは、人材が集まり定着するクラスターは生まれない。産業集積・交通・生活の質が一体となった「地区の設計」こそが、人と投資を引き寄せ、持続的な成長を生む決定的な要因である。連載第8回では、この設計思想を政策にどう組み込むべきかを論じる。

生産性の方程式が変わった

コロナ禍で進んだリモートワークからのオフィス回帰論は、職場での「業務生産性」をいかに高めるかという議論に終始してきた。しかし、生産性にはもう一つの側面がある。それが「生活生産性」であり、通勤や個人的な用事、そして仕事の能力を回復させるための活動を指す。

2025年にフランス、米国、英国、日本など7カ国1,200人のナレッジワーカーを対象に行った調査では、調査対象者がオフィスへの往復に平均で75分費やしていることが分かった。この75分という時間は生産的に活用することが難しい。生活生産性を考慮すると、オフィス環境の優位性という従来の常識は大きく変わる。適切な場所に設計されたオフィスであれば、対面で働く利点を保ちながら、通勤や生活上の負担を軽減できる。

この課題を解決するモデルが、ナレッジ・キャンパスだ。これは、4つの要素で構成されており、①日常生活の主要要素を仕事と再統合すること、②都市のエネルギーを活かして偶発的な交流を促進すること、③金融やテクノロジー、クリエイティブなど特定の産業クラスターを核とすること、そして④主要交通ハブと直結させて通勤負担を軽減することが挙げられる(図表1)。

ナレッジ・キャンパスを構成する4つの要素を示した図表。この都市モデルでは対面で働く利点を持ちながら通勤や生活上の負担を軽減する

東京の都市モデルが世界に先んじていた理由

筆者らは論文で「ナレッジ・キャンパス指数」を独自に開発し、概念を定量化した。都心部について、前述の4つの要素で測定するもので、オフィス・住宅・小売店舗などの機能の多様性、カフェや公共空間など交流を生む場の密度、関連する企業や産業のセクター別クラスター、そして鉄道や公共交通による交通コネクティビティが含まれる。さらにこの指数を、2018年から2024年のオフィス賃料上昇率と空室率の低さを組み合わせた商業的パフォーマンスと照合することで、都市としての競争力を二軸で可視化した。調査対象のうち15のビジネス街を分析したところ、この指数が高い地区ほど商業的にも成功している傾向が明らかになった。その中で両指数の最高スコアを記録したのが、東京の渋谷と六本木だった(図表2)。

ナレッジ・キャンパス指数と商業的パフォーマンスの相関を示した図表。ナレッジ・キャンパスの完成度が高い都心ほど、商業的パフォーマンスも高い

東京がこの優位性を持つに至った背景には、1990年代から2000年代初頭にかけての開発アプローチがある。欧米の多くの都市が単一目的のオフィスタワーを相次いで建設していた時代に、東京ではすでにデベロッパーが駅を核とした地域全体を、複合用途の街区として開発していた。何百もの小規模事業者や住民と調整を重ねながら、15~30年かけて土地を一区画ずつ取得し、完全な都市型コミュニティを創出してきたのである。

六本木では、森ビルが同地区を建物の寄せ集めではなくシームレスなエリアとして捉え直し、2000年代初頭に六本木ヒルズをはじめとする一連の大規模プロジェクトを開始した。森ビルが目指したのは、企業、スタートアップ、投資家を結びつけるイノベーションハブとコワーキング環境、いわば「都市型生産性プラットフォーム」の創出だった。伝統的なビジネス街である丸の内から六本木エリアに移転した人材サービス企業のデータによると、外部とのコラボレーションが容易になったと回答した従業員の割合が61%から84%に上昇し、自発的な出社率も1年以内に大きく改善したという。

渋谷は六本木とは異なり、文化的な磁力を起点に発展した。1970年代から1980年代にかけて東京の若者文化の発信地として育まれたクリエイティブなDNAが経済成長の中でも失われず、この20年でグーグルやTikTok(ティックトック)を運営するバイトダンスなどの企業を呼び込んだ。渋谷の主要テナントの約80%が、B2C(消費者向け)のテクノロジー企業が占め、9路線が乗り入れる渋谷駅を核とした高い交通コネクティビティが、産業エコシステムの拡張性を支えている。東京でも屈指のこの結節点は、長らく渋谷の開発を牽引してきた東急グループが鉄道事業と都市開発を融合させることで実現したものだ。

地域未来戦略を「成功する産業クラスター」にする

東京が世界に先んじてナレッジ・キャンパスを実現できた要因に、土地利用規制の柔軟性と交通インフラへの継続的な投資が挙げられる。この優位性は偶然の産物ではなく、長期的な開発アプローチと官民の連携によって育まれたものだ。一方で、日本の各地には現在、活かしきれていない伸び代が広がっている。地方都市の中心市街地は空洞化が進むなかでも再生の余地があり、大学などの教育機関と企業が連携する産学拠点は世界水準の研究力を持つにもかかわらず、イノベーションに必要な人の流れと生活の質を欠いている。また、世界最高水準の都市密度である東京都心は、グローバルなスタートアップ・エコシステムの形成を課題としている。

これらの伸び代を産業の力へと転換しようとするのが、政府の「地域未来戦略」だ。これは、地域単位の「戦略産業クラスター計画」、都道府県が主体となる「地域産業クラスター計画」、そして地域資源を活かす「地場産業成長プラン」の三つで構成され、2026年5月には全国10地域の重点産業分野の素案が示された。注目すべきは、その政策パッケージが、共創拠点としてのキャンパス機能の強化、公共交通の結節点を核とする「コンパクト・プラス・ネットワーク」の推進、そして国家戦略特区を活用した規制改革を明示的に掲げている点だ。これらは、ナレッジ・キャンパスを支える要素と深く重なる。東京の例が示すように、これらを機能させる前提として土地利用規制の柔軟性も重要だ。つまり、これらの要素を「地区の設計」として統合できるかどうかが、戦略の成否を分ける。

政府の計画は、地域ブロック・都道府県・市区町村という規模と主体で区分されている。後編では、規模の区分を横断する形で、地方の中心市街地、地方の産学イノベーション拠点、そして東京都心の先端技術拠点という3つの類型を取り上げる。いずれの類型においても「地区をどう設計するか」という問いは共通しており、ここにナレッジ・キャンパスの設計思想をどう組み込むかを考察する。

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