第8回後編 仕事・暮らし・交流の三位一体 地域開発にナレッジ・キャンパスの思想を

公開日 : 2026.08.10

連載第8回前編では「ナレッジ・キャンパス」という新たな都市モデルを紹介した。リモートワークからのオフィス回帰論が進み「生活生産性」も重視されるなか、東京を例に、企業や人材を引きつける都市が優位性を持つことを示した。政府の「地域未来戦略」では、強い地域経済の構築に向けて、日本の地方都市が持つ伸びしろを活かそうと構想している。地域単位の「戦略産業クラスター計画」、都道府県が主体となる「地域産業クラスター計画」、そして地域資源を活かす「地場産業成長プラン」など、さまざまな政策パッケージを相互に連携させて産業の力へと転換するねらいだ。

後編では、こうした規模の区分を横断する形で、①地方の中心市街地、②地方の産学イノベーション拠点、そして③東京都心のイノベーション拠点という3つの視点で、地域開発にナレッジ・キャンパスの思想をどう組み込むかを考察し、企業への示唆を提示する。

地方の中心市街地を活性化させる:「消費の場」から「生活を充実させる場」へ

内閣府は2026年3月、「中心市街地活性化促進プログラム」を改定した。これまでのように商業施設を集積させることを核とした発想から、「仕事」「暮らし」「交流の場」を三位一体で形成する方向へと施策を転換した。地域未来戦略においても、地域資源を活かす「地場産業成長プラン」や、公共交通で各所を結ぶ「コンパクト・プラス・ネットワーク」の推進を柱に据えており、地方の中心市街地の再生は地方創生の中核テーマとなっている。

この転換の方向性は、ナレッジ・キャンパスが示す知見と本質的に一致している。前編で示した通り、BCGと都市経済学者のリチャード・フロリダ氏の共同調査では、オフィス専用である従来型のビジネス街が苦戦する一方で、住宅・商業・文化施設が融合した複合用途のエリアは商業的にも成功する傾向が明確に見られた。地方都市の中心市街地においても、単に空き店舗を埋めるのではなく、仕事・生活・交流が日常的に重なり合う場として再設計することが、持続的に人を集める鍵となる。このように、自治体とデベロッパーがナレッジ・キャンパスに準じた中心市街地へと転換する類型は、大きく4つある。

1つ目は、既存施設のリノベーションを通じて複合用途化を先導するモデルだ。利用されていないか、あまり使われていない「低未利用不動産」が比較的安価に流通する地方の中心市街地では、民間事業者が空き店舗や空きビルを改修し、オフィス、住宅、飲食、コワーキング機能を一棟に組み合わせた小さなナレッジ・キャンパスを形成できる。2つ目は、交通の拠点を複合開発の核とすることで、駅や公共交通の周辺に生活機能を集約し、通勤負担の軽減と生活生産性の向上を同時に実現するモデルだ。3つ目は、産学官の共創拠点施設の整備を起点に、地域内で知識の流動性を高め、スタートアップや移住者が活躍できる環境をつくることだ。4つ目は、交通事業者や地権者を束ねるエリアマネジメントの担い手となることだ。東京で鉄道会社やデベロッパーが地区全体を長期的に設計してきたように、地方でも複数の関係者をまとめ、地区全体を一つのナレッジ・キャンパスとして運営する主体が求められる。

地方のイノベーション拠点を開発する:産学集積の場を再設計する

内閣府は「スタートアップ・エコシステム拠点都市」として全国複数の都市を認定し、地方の工業や学術拠点を集積させるイノベーション拠点の形成を後押ししている。地域未来戦略が掲げる戦略産業クラスター計画も、熊本の台湾積体電路製造(TSMC)や北海道のラピダスを支える産業クラスターのように、大規模投資を起点とした産業集積地を全国に広げようとしている。これらの拠点が世界に通用するエコシステムへと発展するためには、研究や企業誘致という単一目的の施設を整備するだけに留まらず、研究者・起業家・投資家が日常的に交差し、生活の質を保ちながら長期的に根付ける環境を整えることが不可欠だ。

また、調査では、産業クラスターの強さと交通コネクティビティ、そして生活生産性の3つが同時に高い地区だけが、商業的成功と人材定着の両方を実現できるという事実が明らかになった。地方の産学拠点においても、大学や研究機関を核として、その周辺に住宅や飲食・文化施設を一体的に整備し、新幹線や高速鉄道との接続を強化することで、単なる「研究所の集まり」から「働いて生活できる場」へと転換することが求められる。政府が投資を促進したりインフラ整備の枠組みを提供したりする一方で、その投資が真に人材を引きつけるクラスターへと結実するかどうかは、地区全体をナレッジ・キャンパスとして設計できるかにかかっている。自治体とデベロッパーが連携し、こうした地区全体の設計を戦略的に担うことが、スタートアップ・エコシステムを真に機能させる前提条件となる。

東京都心のイノベーション拠点:GSC構想を実装する

内閣官房が推進する「グローバル・スタートアップ・キャンパス(GSC)構想」では、東京都心の渋谷・目黒エリアにフラッグシップ拠点を整備し、ディープテック(先端技術)分野の研究機能と、スタートアップの拠点となるインキュベーション機能を兼ね備えた世界最高水準のイノベーション・エコシステムのハブを構築することを目指している。2028年度以降の整備・稼働に向けて計画が進められているが、注目すべきは、ナレッジ・キャンパス指数で世界最高スコアを記録した渋谷地区にこの拠点の整備が計画されているという事実だ。

立地の選定に偶然の一致はなく、渋谷がすでに備える都市の特性こそが、この構想の成否を左右する鍵を握っている。B2C(消費者向け)のテクノロジー企業が集まる産業クラスターや、卓越した交通コネクティビティを持ち、仕事と生活が融合していることで、グローバルな人材と投資を引き寄せている。GSC構想を真に機能させるためには、拠点となる建物を整備するだけでなく、その周辺地区全体をナレッジ・キャンパスとして設計する視点が求められる。具体的には、国際的な研究者や起業家が長期にわたり滞在・居住できる住宅環境の整備や、飲食・文化・保育機能との連携、そして地方のスタートアップ・エコシステム拠点との接続が、エコシステムを持続するうえで重要な要件となる。

日本の都市開発モデルを「輸出財」へ

これらに共通するのは、「建物を建てる」発想から「地区を設計する」発想に転換することの必要性だ。この転換をリードできる自治体とデベロッパーは、単に日本国内の政策課題を解決するだけでなく、世界が注目する都市開発モデルの担い手となりうる。東京の渋谷と六本木がナレッジ・キャンパス指数で世界トップを記録したという事実は、日本の都市開発が国際的に通用する知見を持っていることを示している。

自治体とデベロッパーが戦略的に都市設計を主導するなか、企業が貢献できることは多様だ。自社が持つ不動産、交通インフラ、産業ネットワークなどを活用し、国際的な広がりのある地区づくりに一丸となって取り組むことで新たな収益機会につながる可能性は高い。BCGはこれまでも都市と競争力の関係を分析してきたが、今後は日本の政策立案者や民間事業者とともに具体的な都市設計に取り組んでいきたい。

企業経営への示唆

こうした政府や自治体による政策展開を受けて、企業はどうあるべきか。経営者に求められるのは、立地を「コスト」ではなく「戦略」として捉え直すことである。Harvard Business Reviewの論文では、「ROP(リターン・オン・プレイス:場所利益率)」というフレームワークを示している。これは、ある立地がどれだけ効果的に地域での協働を促進し、摩擦を減らし、企業文化を強化するかを測る指標であり、従来の不動産コストや単位面積当たりの効率とは異なる視点から立地を評価するものである。

コストや利用率などの従来の指標に加えて、企業が立地の選定段階で測定・管理すべき3つの変数がある。第一に「交流と協働の密度」であり、職場内はもとより周辺地域で偶発的な交流が高頻度で自然発生するかどうかを検証する。第二に「生活生産性と通勤のトレードオフ」であり、従業員が食事や用事を済ませたり、保育の手配をしたりといった日常的なタスクに伴う負担を最小化できる立地かどうかを見る。第三に「エコシステムの強さ」であり、関連する企業の本社、サプライヤー、スタートアップ、大学、各種機関が近隣地域にどのくらい密集しているかを指標にする。こうした視点から立地を評価することで、既存の本社を改修するか、それとも条件を満たす別の地区に移転するか、あるいは新たな本社を建設するかという次の一手を、根拠を持って判断できるようになる。

経営リーダーに問われるもう一つの視点は、事業展開において自社のアセットをどう活かすかという点だ。不動産、交通インフラ、産業ネットワークといった資産は、単独の収益源としてだけでなく、ナレッジ・キャンパス型の地区づくりに組み込むことで新たな価値を生む。新たな拠点づくりに参画するなかで培った開発・運営のノウハウは、そのまま海外市場に通用する輸出財となる。都市化と中間層の拡大が続くアジアをはじめとする新興国では、交通インフラと一体となった拠点開発への需要が急速に高まっている。日本の民間企業が自治体や政府系機関と連携し、ナレッジ・キャンパス型の都市開発モデルをパッケージとして展開することも考えられる。

ナレッジ・キャンパスは、単なる不動産開発の手法ではない。どこで働き、どこで暮らし、どこでイノベーションを起こすかを設計する営みであり、地域の未来を形づくり、日本の産業競争力を世界へ問う戦略そのものである。政府の地域未来戦略という追い風のもと、官民で連携してこの設計思想をどう実装するかが、これからの日本に問われている。

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