iPS細胞を使った「夢の再生医療」を現実に――高橋政代氏に聞く(前編)

著者 :
ボストン コンサルティング グループ

iPS細胞を用いた網膜再生医療で世界初の臨床応用を実現し、日本の再生医療を牽引してきたビジョンケア社長の高橋政代氏。理化学研究所からベンチャー企業に移り、治療・研究開発に取り組む中、高橋氏が一貫して追い求めてきたのは「患者さんのために何ができるか」という問いだった。世界初の臨床応用を成し遂げ、さらには治療の標準化に向けて挑戦し続ける高橋氏の歩みとその原動力に、BCGのマネージング・ディレクター & パートナーである中村健と、プリンシパルの千葉浩亮が迫った。

「夢の再生治療」が現実になりつつある

中村:iPS細胞を使った網膜再生医療の研究は、現在どのような段階にあるのか。

高橋:2006年にiPS細胞が発見されてから20年が経つ。薬の開発は、1,000のうち3つ当たれば良いようなもので、通常は治験を行って効果が証明された段階で初めて世の中に出てくる。ところがiPS細胞は、最初から注目されて、みんながその治療過程を全部見ている特殊なケース。だから「時間がかかったな」という印象があるかもしれないが、20年で治療まで進み、成功確率も高いのは非常に順調。国も含めてみんなで頑張ってきた成果を実感している。

治療過程を見てもらうことで、基礎研究者の意識が変わり、世の中にも「治療法の開発ってこんなに時間がかかるんだ」と知ってもらった。また、「夢の再生医療」と言われた治療が現実になりつつある中で、「ただ夢のように治る治療ではない」と理解してもらえたことも良かったと思う。ただ、iPS細胞は、同じものでも患者さんの状況によって効き目は変わる。化学に基づいて作られている薬とは特性が異なるため、薬と同様のルールに当てはめて考えるのは難しいと感じている。

iPS細胞を使った網膜再生医療の実現に挑む高橋政代氏

基礎研究から臨床まで全ての情報を知っていることが確信に

BCGの中村健

中村:2014年にはiPS細胞から作製した網膜細胞を移植する臨床手術に成功した。世間や周囲の反応を振り返ると、「まだ早いのでは」といった声もあったのではないか。

高橋:研究している間は、ほとんどの人が無理だと言っていた。医者は学生の時から「中枢神経と心臓は再生しない」と叩き込まれているから無理だと思う。基礎研究者で網膜のことを分かっている人は「あんなに複雑なものは再生できない」と言う。でもそれは、完全に元通りにしないとだめだという思い込みがあるからで、臨床的な観点で言うと、実は患者さんは元通りに治らなくても喜んでくれる。

「危ない」と言って止めようとした人も多かったが、説明するだけでは分かってもらえない。とにかく実際にやってみないと説得できないので、周りの声を突破して1例目に踏み切ったら大成功で、その途端に止める声がパタッとなくなった。今も何か新しいことをしようとすると、さまざまな声が上がるが、やってみせるまでは仕方がないと思っている。

中村:周囲から難しいと思われていた中で、なぜ高橋先生だけ確信を持って「できる」と思えたのか。

高橋:情報量だと思う。基礎研究から臨床まで全ての現場の情報を知っている人は実はあまりいない。再生医療に携わる先生たちは私と同じように全部知っているけれど、それは世界でも珍しく、医者自身が治療開発している例はそんなにない。

AI時代のキーワードは「熱」

BCGの千葉浩亮

千葉:神戸アイセンターは、病院と患者ケアを担う公益社団法人、そして企業が連携するエコシステムを実現しているが、これは非常に難しいことだと思う。情報量はもちろんのこと、話を聞いていると高橋先生の「熱」もあるのではないかと感じる。

高橋:「やる」と言ったとき、大半の人は無理だと言ってしらけた顔をしていたが、だんだん分かってくれる人が出てきた。まさに「熱」で、それが伝わると広がっていく。今の事務局長や院長もそういう風に集まった。

これまで私は「これからの時代の医者は創造性と人間性を」と言ってきたが、生成AIが登場してから本当にそうなのか分からなくなった。AIのほうが患者さんにうまく寄り添えるだろうし、創造性も人間性も負けるかもしれない。でも、2025年の大阪・関西万博を見たとき、周囲の批判や懸念を乗り越えて人々を巻き込む「熱」の力を実感した。最終的に大きな盛り上がりを生み出した万博の姿に、「これこそが人間がやるべきことだ」と強く感じた。「熱」はAI時代のキーワードだと思う。

再生医療で患者さんが楽に生活できる世界を

中村:再生医療の臨床開発において、高橋先生は外科手術の技術習得モデルに近い形で開発戦略を設計している。時間はかかるが、精度が非常に高いアプローチを選んできた理由は。

高橋:最初は網膜細胞のシートで開発を進めていた。ただ、手術をしてみると過去の経験以上に難しく、臨床家として満足できる治療ではなかったため、「これで治験に進んで良いのか」という迷いがあり、別のアプローチを模索することにした。

その後、他人のiPS細胞から作製した網膜色素上皮(RPE)細胞を液体(懸濁液)として網膜の下に注入する方法も検討した。企業の立場で考えると、懸濁液だと冷凍できるため製造や保存の観点で合理的で、実際に治験直前まで進んだものの、移植部位のコントロールなどの正確性に課題があったため、臨床家としては変更すべきと考えた。

最終的に、iPS細胞から作製したRPE細胞を「ひも状」にして網膜下へ挿入する現在の手法にたどり着き、手術の安全性や成功確率の高さという点で臨床チームも全員満足できるものになった。この新手法を使った再生医療を多くの患者さんに届けて、目で不自由な思いをしている人たちが楽に生活できる世界を作りたい。

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