大規模ITプロジェクトの罠と成功の秘訣――『全社デジタル戦略 失敗の本質』より

AIによる業務の効率化や新たな価値創造への期待が高まり、デジタル戦略が経営の最重要事項となっている。しかしその一方で、多くの企業が基幹システムの導入などのIT・デジタル投資に失敗している。これらの失敗から学び、成功に転じるために経営陣がすべきことは何か。

2025年6月刊行の『全社デジタル戦略 失敗の本質』(日経BP)は、IT・デジタル領域に関する多くの支援実績を持つBCGのコンサルタントが現場での経験をもとに執筆し、経営陣が持つべきマインドやプロジェクトの各工程で押さえるべきポイントを解説している。本書から抜粋し、実際にプロジェクトを進めるうえで陥りやすい罠とその背景を紹介したい。

経営陣が意識すべき3つのフェーズ

システム開発を進める中で経営陣が的確に意思決定をするためには、大きく「企画構想」「要件定義」「実装」の3フェーズを意識する必要がある(図表)。

一般的なシステム開発の工程定義と、経営陣が意識すべきフェーズの変わり目を示した図

企画構想フェーズは、どのような目的で、どのスコープ(対象範囲)で、どのくらいの期間・コストをかけて、どのようなやり方で、何を成し遂げたいのかを、経営、事業、ITの各部門で合意し、プロジェクト全体を前に進める意思決定をする。経営陣が高い目線で投資や方向性を決めることが求められる。

要件定義フェーズは、企画構想フェーズで決めたスコープの中で、事業部門(発注者)が実現したいこと(要求)を洗い出していく。それに対してIT部門とベンダー(受注者)が協力して具体的な要件(仕様)を決めていく。

実装フェーズは、定められた要件を実現するための設計を行い、実際に開発し、それが正しく動作するかを確認する。

大規模なシステム開発は、投資額も大きく、プロジェクトをやり遂げる難度が非常に高い。また、投資の結果としてビジネス上どのようなメリットがあるのかも問われる。このため、経営陣・事業部門・IT部門が三位一体となり、3つのフェーズのそれぞれで、三者が果たすべき役割を担いながら、また状況によって変化する役割のバランスを考慮しながら、着実に進めていくことが重要となる。

企画構想フェーズの罠

ただし、著者らがこれまで様々なシステム開発プロジェクトを見てきた経験からいうと、3フェーズの各所で落とし穴が待ち受けており、多くの企業がそれにはまってしまっている。その結果、「多額の追加投資を余儀なくされた」「スケジュールが大幅に遅れた、完成はしたが有効に活用されない」「生産性向上や収益増につながっていない」といったシステム開発後によく耳にする問題が生じてしまう。

ここでは、企画構想フェーズで陥りやすい典型的な罠を紹介しよう。

● 何を成し遂げたいのかが曖昧なまま投資の意思決定をしてしまう
● 経営層がプロジェクトの中身を理解しないまま、現場主導で進めている
● システムを利用する事業部門がコミットしないまま、IT部門が突っ走っている
● 目的を達成するための実現手段のめどを立てないまま要件定義に進む
● ベンダーの計画をうのみにし、自社として十分な検証をしていない

システム開発特有の事情

これらの罠に不可解な印象を抱いた人もいるかもしれない。

たとえば、何をつくるのかが曖昧で、中身を理解していないものに対して、果たして経営会議で大規模投資の承認が下りるだろうか。通常の製品開発や新規事業プロジェクトであれば、間違いなく考えにくい。そんな不確かな提案をしても、たちまち質問攻めに遭い、却下されるだろう。ところが、システム開発ではそうならないことが多い。それはシステム開発には特殊な事情があるからだ。

まず、関係者で共通した完成形のイメージを持ちにくいこと。たとえばビルを建てる場合なら、こんなコンセプトで、広さ・大きさはこれぐらいで、間取りはこうで、壁や床にこの資材を使い、このような色やデザインで統一感を出すというように、具体的なパーツがイメージできるだろう。その結果、完成度の違いはあれ、出来上がったものが橋だったというような事態は起こらない。

それがシステム開発になると、発注者側がそうしたパーツを具体的にイメージできなくなる。「便利な機能を果たすブラックボックス」となり、中身がどうなっているか、どんな仕組みで成り立っているのかは見当もつかない。それゆえ、つくりたいものを言葉でうまく伝えられないし、そもそも依頼を出すために自分が何を決めるべきかもわからない。要するに、ビルがどういうものか知らない人が、業者を雇ってビルを建てさせているような状況になっているのだ。

次に、IT業界ではコンサルタントやベンダーがそれぞれ独自に言葉の意味を定義して話すため、用語が統一されておらず、関係者間で話が通じにくい。特に近年、要件定義と基本設計はどこまでが要件でどこまでが設計かという垣根が大きく崩れている。企画構想で実施しておくべきことを要件定義フェーズで実施していたり、要件定義で実施すべき内容を基本設計工程で実施していたりする企業が散見される。

さらにシステム開発では、目的設定や費用対効果が曖昧になりやすい。使用しているシステムの保守期間が終了したり、改修に改修を重ねてシステムが複雑化(俗にいうスパゲッティ化)し過ぎてつくり替える必要が生じたりした場合などは、事業側に必ずしも新たなメリットが生じるとは限らず、その効果を説明するのが難しい。

これらのITプロジェクト特有の背景を踏まえて罠を回避し、プロジェクトを成功に導くためには、ITプロジェクトをベンダー任せにせず、経営陣が自分ごとととらえ、的確なタイミングで意思決定する必要がある。『全社デジタル戦略 失敗の本質』では、各工程で落とし穴にはまらないための実践知を紹介。さらに、個別企業の取り組みを超えて、日本企業全体が向かうべき方向なども考察している(詳しくはこちら)。

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