生物多様性と向き合い、自然資本を日本企業の強みに――『経営の論点2025』から
生物多様性を顧みない気候変動対策はもはや通用せず、むしろ生物多様性の回復は気候変動問題の有力な解決手段として注目されている。しかし、生物多様性に関わる農業や林業などの一次産業は個人経営や零細企業が多く取り組みが進んでいない。そのため、需要側の企業が投資を呼び込み、農業や林業を本質的に「産業化」させることが重要だ。
『BCGが読む経営の論点2025』(日本経済新聞出版)では、BCG消費財・流通グループの日本リーダー森田 章と、食料システム等におけるサステナビリティを専門とする佐野 徳彦が、生物多様性と気候変動を同時に改善し、日本の一次産業の構造的問題を解決するための方法を解説している。
TNFDフレームワーク発表後も進んでいない、生物多様性への対応
企業活動が動植物や土壌など自然資本に与える影響を開示する国際的なガイドライン、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のフレームワークが2023年9月に発表され、企業は生物多様性への対応を検討する必要が生じている。自然資源と関わりが深い食品・飲料メーカーなどを中心に早期開示に取り組む企業もあるが、多くの産業では依然として気候変動対策に重点を置いており、とても手が回っていないのが実態だ。
BCGの調査でも、企業の生物多様性への対応が進んでいないことがわかっている(図表1)。2023年秋に東証プライム上場企業265社を対象として行った、カーボンニュートラル・サステナビリティ経営の成熟レベル診断では、CO2排出量を測定しているかなどを聞いたカーボンニュートラル経営は平均スコアが「レベル2(全社的に着手)」だった。
一方、「生物多様性・自然資本」「廃棄物・サーキュラー」などに関わる取り組みの成熟度を評価したサステナビリティ経営は「レベル1(準備・部分的に着手)」と、まだ本格化していない状況だった。
しかし、世界的には着々とルール形成が進み、自然資本への影響を無視すれば今後取り残されることは明白だ。気候変動対策と合わせて進める必要がある理由として次の3つがあげられる。
①生物多様性を顧みないCO2削減策は許容されなくなっている
CO2削減目標を達成するうえで、生物多様性の観点は避けて通れない。太陽光や風力発電の開発計画が自然破壊を懸念する地元の反対で頓挫する、という例もあり、生物多様性に配慮しない気候変動対策は許容されなくなっている。
たとえばEV(電気自動車)も脱炭素の有効な手段と考えられているが、バッテリーの主原料であるリチウム、ニッケルといった鉱物を採掘する際、森林破壊、粉塵による大気汚染、露天掘りによる土地劣化、水質汚染を引き起こすことが多い。EVはこうした鉱物資源をガソリン車の6倍も使用している。つまり、自然資本という観点ではEVはガソリン車よりもエコとはいえない。
工業製品の代表格である自動車も、タイヤをつくるためのゴム林、バイオエタノールを生むトウモロコシや大豆の畑等々、農業や林業など一次産業と近しい関係にある。一見すると自然資本と接点がなさそうに見える産業でも、実際にはさまざまな形で関係性が見つかるはずだ。
②SBTiなど気候変動対策のルールに自然資本の観点が織り込まれている
気候変動をめぐっては企業が対応すべきルールが明確になりつつある。多くの日本企業が認定を取得、もしくは取得を目指すSBTi(科学にもとづく目標設定イニシアチブ)のFLAG(森林・土地・農業)ガイダンスでは、紙製品や食品といった特定のセクターなどを対象に、2025年末までに森林破壊に加担していないこと(森林破壊フリー)の証明を企業に求めている。
これに対応するには自社の事業活動だけでなく、バリューチェーンの川上にさかのぼり、調達している原料の生産地で森林伐採が行われていないかどうかを確認しなくてはならない。
③ネイチャー・ベースド・ソリューションはより安価で、高い効果が期待できる
世界的に、脱炭素に向けた施策は、削減できる排出量の多さから、エネルギーの消費量削減・再エネ化やEV化をはじめとするモビリティ関連にまず取り組もうとする動きがある。しかし、自然の力にもとづき生態系と人間の両方に利益をもたらす解決策、ネイチャー・ベースド・ソリューションのほうが、より少ない投資でより多くの効果が見込める可能性がある(図表2)。
たとえば、森林再生や植林、森林転換の回避、再生農法などを通じて土壌への炭素固定量を増やすことは、大規模に展開できるうえ、化学反応を利用するものなど他の炭素回収技術よりもリスクが低い。2030年までの地球の気温上昇を2度以内に抑えるための気候変動対策のうち、35%超がこのようなネイチャー・ベースド・ソリューションにより解決できるという予測もある。
日本の豊かな自然資本を強みにするために――一次産業の「産業化」
生物多様性や自然資本に関する取り組みを進めるうえで最も重要なのが、農業や林業など一次産業の「産業化」だ。生物多様性の毀損の6割は一次産業に起因する。
これまで、農業や林業は小規模兼業農家や家族経営が多く、補助金などで政策的に支えられ、積極的に投資が行われてこなかった。一次産業と呼ばれるものの、実は産業の体をなしていないといえる。これでは、この領域をサステナブルにするための投資や取り組みが進まないのも無理はない。このため、企業がバリューチェーンの上流に目線を移して、農業や林業を「産業化」し、サステナブルな手法に転換し、収益化や規模化を図っていく必要がある。
その際にポイントとなるのが、垂直統合から「水平分業モデル」へと転換させることだ。農業の場合、日本では第二次世界大戦後に農地が細分化され、多くの小規模農家が誕生した。土地を保有し、作物を育て、収穫物を販売するのをすべて農家が担う。つまり、保有、生産、販売が垂直統合されている構造だ。
これに対して水平分業モデルでは、各機能の担い手を分離させる。たとえば、投資家が土地を保有し、土地の調査と交渉を行い、適切な土地を買い集め、再生農業など収益化につながる再生計画を策定する。そこで再生農業を行うのは保有者とは限らず、やる気のある若手人材を集めてもよい。農業関連のテクノロジーも、個々の農家が研究するのではなく確立されたものを一気に導入すれば、垂直統合では難しかった規模の拡大が可能になる。
日本では現在、高齢化で離農者が増え、後継者も見つからないまま、人手不足で耕作されず、荒廃する農地は増える一方だ。まずは需要家である企業が主導する形で再生農法を推進したり、ネイチャー・ベースド・ソリューションに投資したりして、新しいモデルの成功事例をつくることが肝要である。
「一次産業の産業化」は、日本の豊かな自然資本をより大きな強みにするための有効な手段になる。たとえば、世界が水不足に苦しむなかで、日本には潤沢な水資源がある。最近注目を集めている半導体製造工場やデータセンターをはじめ、今後の成長産業は水を大量に使う。海外で生産していた一部の作物の生産を国内に回帰させて一次産業を産業化し、それによって地域の水源を涵養することで水を大量に使う産業を呼び込めば、成長につながるのではないか。
このように、農業や林業の産業化を実現することは、生物多様性と気候変動の問題を同時に解決しつつ、世界における日本や日本企業の存在感を高めることに寄与する。
その年のビジネスを考えるうえで経営者が押さえておきたいトピックを、BCGのエキスパートが解説する『BCGが読む経営の論点』。最新刊では、日本企業が今後10年超にわたって持続的な成長を実現していくうえで経営者が優先的に考えるべき10の重要論点を提示する。第5章「生物多様性に向き合う――豊かな自然資本を日本企業の強みにする」では、一次産業の「産業化」を進めるポイントを詳しく解説しつつ、日本企業の優位性につなげるためにどうすべきかを論じている(詳しくはこちら)。