「日常をアートにする」生き方 東京藝大・西尾美也准教授に学ぶ

モノではなくコトとして服をデザインする

自身の活動では、ファッションや装いを素材にした作品を多く手掛けてきた。一般的なファッション・デザインでは「モノ」としての服をつくるのに対し、西尾氏は「人が服を着ている光景」に注目する。この発想を「ファッションスケープ・デザイン」と名付け、服を通じて生まれる人と人との関係性そのものをデザインの対象ととらえ、 「モノ」としての服ではなく「コト」としての装いをデザインするという実践を行っているという。

そのほかの作品例として、持ち寄った古着をみんなで切り開き、パッチワーク状に縫い合わせて巨大な空間をつくるプロジェクトや、普段は屋内にあるはずのカーテンを外に出して柔らかい建築空間を生み出す活動、裏地の産地として知られる富士吉田で、裏地を縫い合わせた布の内側から顔を出すと「裏富士」が見える、といった取り組みを紹介した。

縫い合わせた裏地から頭を出すと「裏富士」が見える(西尾氏提供)

こうした活動の背景には、「人間は生まれ育った環境における装いの方法から容易には抜け出せない」という問題意識があるという。もし私たちがケニアのマサイ村や、200年前の日本に生まれていたら、今とは全く異なる装いをしているだろう。装いは無意識のうちに人の所属を規定し、「同じ社会の一員である」という共通認識にもつながる。しかし西尾氏は、その共通認識が、ありえたかもしれない別のコミュニケーションを遮断しているのではないかと考えている。装いが閉ざしているコミュニケーションを装いによって取り戻せないか――そうした発想が西尾氏のアート活動の根底にあるのだ。

講義後に設けられた質疑応答の時間では活発なやり取りが交わされ、「芸術の中で出会う幸福や充足感は、社会で手に入れる安定や成功とはどこか違う手触りなのか」という質問も寄せられた。

講義では、「行為の芸術」の観点で実践する国内外でのさまざまな取り組みを紹介した

「近代芸術は、絵画と彫刻などのアートを生み出す作り手と、それを鑑賞する受け手という固定した関係図式ができており、作品が美術館やギャラリーに展示され、アート関係者に評価されることを目指す構造になっている」と西尾氏は話す。一方、自身はそうした芸術の在り方を批判し、権威ある場所以外のところで人々の間で自然発生的に立ち上がる創造性も芸術としてとらえ直そうと、アフリカなど世界のさまざまな土地で実践を重ねてきた。

こうした経験を踏まえ、「対象としての芸術を見て、それを知ることではなく、『私は芸術である』『私自身が芸術になる』という体験が大事だと思っている。芸術として生きることをそれぞれが実感できるような社会の仕組みを考えてほしい」と答えた。

研修の企画を担当した、BCG社員で東京藝術大学の博士課程に通う平岡 美由紀は「モノを作るだけではなく、行為自体が芸術になる。皆さんの生き方や働き方の中にも実は芸術性があることに気づいてもらいたい」と呼びかけた。

企画の責任者でBCGのマネージング・ディレクター&パートナーの中村 健は「西尾氏は我々が考えたことのない切り口で世界を見ており、その独創的な視点を驚くほどロジカルに人に伝えている。これはコンサルタントの仕事にも通じるところがあり、学びが大きかった」と話している。

(写真左から)BCGプロジェクトリーダー 平岡 美由紀、講師を務めた東京藝術大学の西尾 美也准教授、BCGマネージング・ディレクター&パートナー 中村 健

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