製薬業界の変化 デジタルシフトと新薬開発競争が突き付ける課題

コロナ禍では、医療体制のひっ迫やワクチンの提供遅れをはじめとした日本の医療をめぐる諸問題が浮き彫りになった。同時に、新薬開発競争の激化や医師との接点の減少、日本市場での治験の優先度低下など、製薬企業を取り巻く環境も大きく変化している。BCGのヘルスケアグループの平谷 悠美鹿野 洋が、セールスフォース・ジャパンと共同で執筆したレポート「製薬企業の臨床開発と顧客エンゲージメントにおける課題と今後の論点」から、その環境変化を紹介する。

この記事のポイント

①MRと医師との接点は対面からデジタルへシフト
コロナ禍を契機に、MRと医師のコミュニケーションはオンラインが主流に。医師の働き方改革も対面での接点の減少につながっている

②医薬品市場に新潮流、開発競争も激化
医薬品市場はオンコロジー(がん)や免疫性疾患などスペシャリティ領域へ。開発競争が激化する一方で、全体的な新薬創出のROIは低下傾向

③日本市場の治験の優先度が低下しドラッグロスが発生
スピードとコストの課題から、日本市場での治験優先度が低下。人口減少と薬価の締め付けもあり、ドラッグラグやドラッグロスが課題に

コロナ禍や医師の働き方改革によりMRとの接点が減少

昨今、製薬企業から医療従事者への情報提供のあり方が変わっている。その背景にはデジタル化の進展があるが、大きな契機となったのはコロナ禍だ。多くの病院がMR(医療情報担当者)に対して訪問規制を設け、MRは従来のように約束なしに病院を訪問し、医師の空き時間を見つけて対話する方法がとれなくなった。

コロナ禍でMRによる活動の総量は大幅に低下し、収束後も、このような医療機関の意向を受けてMRによる活動総量が以前の水準に戻っていない企業が多い。コロナ以前から続いていたMR削減の動きは国内の製薬でさらに広がっている(図表1)。

国内製薬企業におけるMR数の減少を表す図

訪問に代わる手段として台頭したのがデジタルチャネルだ。医師とMRがリモート面談やウェブサイト、ウェビナーを通じて情報をやり取りすることに抵抗感を持たなくなり、コロナ収束後もその傾向は続いている。

対面での情報提供が減っている背景には、政府による規制も関係している。2024年4月に導入された「医師の働き方改革」により、医師の時間外労働に上限が定められ、業務時間内にMRと会う時間をとりにくくなっているのだ。ミクスによる調査では、働き方改革による影響を強く受ける勤務医について、約4割の医師が「リアルでの面談が減る」と予想する一方で、約2割が「ウェブやオンラインを通じてコンタクトする機会が増える」と回答しており、自分の都合に合わせて情報収集ができるウェブサイトやウェビナーの活用意向が高まっている。今後、対面からオンラインへのシフトはさらに加速することが予想される。

医薬品市場の新潮流と双方向治療への進化

製薬企業自体のポートフォリオも大きく変化しつつある。患者数の多い慢性疾患などのプライマリー領域での新薬開発は一巡しており、医薬品市場の主力はオンコロジー(がん)、免疫性疾患などのスペシャリティ領域へと変化している。

医薬品が棚に並んでいる写真

加えて、近年の技術革新や創薬ターゲットの拡大により細胞および遺伝子治療(CGT)など新規のモダリティ(治療手段の種別)のパイプラインが増加している(図表2)。遺伝子治療では、従来のように薬剤を各施設に配布し、医師に処方してもらうという一方向の形から、患者から細胞を採取し、培養し、また患者に戻していくなど、治験・治療の進め方は双方向の形に大きく変わっている。

低分子からバイオ・細胞、遺伝子などの新モダリティへ多様化・シフトしていることを表す図

これらの変化により、臨床開発では適切な対象患者・施設の早期の特定やバリューチェーン横断での連携強化が、顧客接点の観点ではより専門性の高い情報提供が求められている。

開発競争激化、R&D生産性も低下傾向

企業間の競争にも変化が見られる。以前は画期的な新薬を上市すると、他社が後発品を出すまでのかなりの間、独占状態を享受できたが、現在はバイオテックなどを含めたプレーヤーの増加、研究・開発技術の進歩により競争が激化し、治療パラダイムを変えるようなイノベーションでも市場での優位性は短命となる傾向にある(図表3)。

治療パラダイムを変えるようなイノベーションでも市場での優位は短命になる傾向を表す図

他方、同一薬剤内での上市の順番は製品の価値に与える影響が非常に大きい。例えばオンコロジー(がん治療)においては、効能効果が同程度の製品であっても上市が1番目か2番目かによって製品価値に倍以上の差がつくことがある。

したがって、開発スピードの向上は製薬企業にとっては最も重要なアジェンダの一つである。そのような状況の中、治験における被験者の獲得は治験スピード向上の大きなドライバーであり、患者数が少ない希少疾患において被験者は取り合いの様相を呈している。被験者が十分に確保できなければ治験期間の長期化や上市の遅延につながるため、治験実施施設の選定、患者登録など、治験の立ち上げを迅速化するニーズは大きい。

開発競争が激化する一方で、全体的な新薬創出の投資収益率(ROI)は低下傾向にある。より難しい疾病やメカニズムに挑むため、グローバルで新薬創出に充てるR&D費用は年々指数関数的に増加している。その一方で、日本を含む多くの国において医療費の増大は社会課題となっており、新薬へのアクセスが厳しくなり、薬価の締め付けも強まっている。コストが上昇しているにもかかわらず収益は抑制されるため、大手バイオファーマの研究開発の生産性は中長期的に低下傾向にあり、研究開発における効率化・コスト抑制のプレッシャーが高まっている(図表4)。

1950年以降のトップバイオファーマ企業のR&Dの生産性は中長期的に低下傾向にあることを表す図

日本市場での治験の優先度が下がり、ドラッグラグ、ドラッグロスが発生

近年、日本市場で治験を実施することの優先度が低下している。従来、日本の治験の質には定評があったが、スピードとコストの観点では他国に劣る傾向にある。

例えば、過去5年に終了した企業主導の治験の期間を日米で比べると、特に患者規模の比較的大きな治験では30%程度の期間の差がある(図表5)。その背景には、日本は比較的中小規模の病院が多く患者が分散しているため、目標症例数に到達するためにより多くの施設が必要になり、コストと時間がかかるという構造的な問題がある。

日米の臨床試験の期間比較を表す図

治験コーディネーター(CRC)や臨床開発モニター(CRA)など治験をサポートするスタッフも複数施設に分散し、非効率になりやすい。さらに、人口減少と薬価の締め付けにより、日本市場の優先度は低下しており、ドラッグラグ(承認までの海外との時間差の拡大)やドラッグロス(日本での未承認の薬剤の増加)の問題が課題となりつつある。

薬を手渡ししている写真

革新的医薬品の迅速な導入に向けた医療DX

医療ニーズが高まる中で革新的な医薬品が確保できなくなる可能性に対して日本政府も危機感を持っており、革新的な医薬品の迅速な導入に向けて制度面、薬価面で対応している。例えば、国際共同治験で日本人第1相試験データを原則として不要としたり、希少疾患認定要件を緩和したりしている。薬価については、欧米での初承認から間を空けずに日本に導入された品目について「迅速導入加算」と呼ばれる加算を新設。また、ベンチャー企業が日本市場に新薬を投入しやすくなるよう、「新薬創出加算」の企業要件を見直した。

医療DX(デジタルトランスフォーメーション)の一環で、治験におけるデジタルの活用も後押ししている。具体的には、電子カルテ情報・交換方式の標準化、パーソナル・ヘルス・レコード(PHR)の普及促進、データの標準化や適切な情報の取り扱いに係るルール整備などを進めている。

このようなマクロ環境の変化に対して、製薬企業はさまざまな変革を求められている。BCGとセールスフォース・ジャパンの共同レポート「製薬企業の臨床開発と顧客エンゲージメントにおける課題と今後の論点」では、これらの環境変化を踏まえて、臨床開発と顧客エンゲージメントの領域における企業動向や今後考えるべき論点を紹介している。