インフレ時代に求められる戦略的プライシング――『経営の論点2024』から

デフレが長く続いた日本で消費者物価が上昇に転じている。原材料費、物流費、燃料費の高騰や円安を受けて、日本企業はB2C(一般消費者向けビジネス)、B2B(企業向けビジネス)を問わず、増大するコストを価格に転嫁せざるを得なくなっている。競争力を高めるうえでは、原材料費等の上昇分をそのまま価格に上乗せする「守りの値上げ」ではなく、付加価値に見合ったリターンを得る「戦略的な値付け」が重要だ。

「失われた30年」の間、多くの日本企業はいかに商品・サービスを安く提供するかに注力し、値付けに関する組織能力の構築にはあまり目を向けてこなかった。値上げは売上の大幅減少やブランド棄損につながるとしてタブー視される風潮があった。しかし世界的に見れば、これはかなり特殊な状況だ。欧米企業では、プライシング能力の優劣が業績や企業価値に直結することを認識し、戦略や体制、業務プロセスを整備している。

『BCGが読む経営の論点2024』(日本経済新聞出版)では、産業財・自動車グループの日本共同リーダーの小柴 優一と、マーケティング・営業・プライシング・グループの日本共同リーダーの阿川 大が、B2BとB2Cの両方の視点で日本企業に求められる取り組みを解説している。その一部を紹介する。

顧客価値を起点に考える

適切なプライシングは、B2BかB2Cか、業種や業態、扱う商材、市場におけるポジション、対象顧客など、企業がおかれている状況により異なる。しかし、B2B、B2Cを問わず、どんな企業にも共通する重要なプライシングの考え方は存在する。それは、自社の置かれている状況について正しく理解しながら、顧客価値を起点に考え、価格の公平性、付加価値の訴求、透明性を実現することである。

顧客価値を起点にしたプライシングとはどんなものか。単純化した例を使って考えてみよう。

顧客、競合企業、コスト。プライシングは基本的にこの3つのレンズを組み合わせて考えるべきだ。日本企業は現状では、コストと競合に比重を置く傾向がある。図に示すように100円の商品であれば、80円の原価に対して20円の利益を乗せるというコストプラスのやり方か、競合の価格を見ながら同等か上下に調整する方法だ。顧客がどれくらいの価値を感じているか、いくら払っていいと思っているか、という観点は十分に検討されていない。

B2Cの場合、顧客が払ってもかまわないと思う価格=WTP(Willingness to Pay)から逆算すると、消費者がよいと思っている商品・サービスは現状よりも適正価格を上乗せする余地が見つかる可能性がある。WTPは消費者調査や過去の購買データの分析などで測定できる。同じ商品・サービスでもWTPは状況により変化する。

B2Bでは、適正価格は基本的に競争環境に基づく市場価格、もしくは、その企業が提供する付加価値によって決まる。何を付加価値と感じるか(品質、納期など)は顧客により異なり、それを的確に把握して、納得してもらえるプレミアムを設定することが重要になる。

B2C、B2Bそれぞれで様々なプライシング手法があるが、『BCGが読む経営の論点2024』ではそれらの概要を紹介している。

組織能力とインフラを構築する

歴史的に日本企業は「数量」に着目して売上や利益を伸ばそうとする傾向がある。より短期間に業績を向上させる施策としてプライシングを常に念頭に置いている欧米企業に比べて、日本企業のプライシング能力は後れをとっている。

日本では、営業担当者などが勘や経験に基づいて感覚的に値決めすることが多い。全社的なプライシング戦略に沿って、データに基づいて適切な価格を判断したり、不要な値引きをしていないか定期的に点検したりするガバナンスの仕組みが整備されていない。プライシング専門の人材・チームがいることも稀だ。

プライシングのガバナンスを構築するには、まず全社戦略をプライシング戦略に落とし込み、必要なルールや規律を導入し、人材や組織、データ活用の仕組みなどを整備する。その上で、PDCA(計画・実行・評価・改善)を回して定期的に実態を点検し、改善を図っていく必要がある。ガバナンスの浸透・定着にはそれなりの時間がかかるため、PDCAサイクルを確立させ、継続的に取り組むことが重要だ。

個人技に頼った値決めや価格交渉から脱却して、組織的にプライシングの規律を高めていくことが求められる。暗黙のルールの形式知化、スキルトレーニングの実施、部門を超えたケーススタディの共有、営業担当者が専門知識豊富な人材から学べる仕組みの導入などが必要だ。

データを活用するためのデジタル・インフラの整備も重要である。各所からデータを取り寄せ手作業で分析しているような状況であれば、早急な変革が求められる。さらに、システム、人間両面の組織能力を高めつつ、AIやデジタルを活用すれば、プライシングの高度化も可能になる。需要変動に応じて価格を変えるダイナミックプライシングや、AIを使ったマークダウン(値下げ)の最適化などを行っている企業もある。

良いものをつくり、適切なリターンをとれるよう値付けし、そのリターンを原資に再投資して、企業が競争力を高めていく。それにより給与や物価が適切に上がり、経済全体がうまく回る方向へと移行させようとする気運が、今、生まれつつある。戦略的なプライシングの実践は、日本経済を好循環に乗せることにもつながる。

その年のビジネスを考えるうえで経営者が知っておくべきトピックを、BCGのエキスパートが解説する『BCGが読む経営の論点』。最新刊では、時代の変化のカギを握る4つのテーマと、これからの企業に必要とされる重要な4つの経営能力を取り上げている。第7章「プライシング――インフレ時代の『値付け』戦略」では、デフレからインフレへと転換する時代にプライシングの組織能力を高め、顧客起点で価値に見合った利益を実現するために、企業はどうマインドを変え行動を起こすべきかを論じている(詳しくはこちら)。