経済安全保障は次の段階へ 企業に求められる役割も大きく変わる
地政学的対立などにより経済安全保障への関心は一層高まっている。経済安全保障はこれまで、サプライチェーンの途絶、基幹インフラの防御、技術流出対策などの領域を中心に語られてきた。企業側も、調達先の多元化、在庫・備蓄の見直し、事業継続計画(BCP)の強化、輸出管理・技術管理の高度化の観点から対応を進めてきた。
しかし、経済安全保障で考慮すべき範囲が広がったことで、政策の手段は多様化し、企業に求められる役割も変わりつつある。連載第5回では、これまでの経済安全保障の動きを振り返ったうえで、この新たな局面を生み出している4つのトレンドと、それぞれに対する企業への示唆を解説する。
これまでの経済安全保障の動向
日本では2022年に経済安全保障推進法が成立。これは、1)重要物資の安定的な供給の確保、2)基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、3)先端的な重要技術の開発支援、4)特許出願の非公開、という4つの制度を創設し、経済施策におけるリスクへの対応を法制上の「喫緊の課題」として制度化したものだった。
この時期に重視されていたのは、いわば「個別の脆弱性にどう備えるか」という発想だ。物資であれば特定国・特定企業への過度な依存を減らし、供給途絶に備えること。基幹インフラであれば、重要設備の導入審査を通じて安定的な提供を脅かすリスクを抑えること。技術であれば、育成支援に加え、輸出管理や投資審査、研究管理を通じて、流出や軍事転用のリスクを抑えることが中心だった。
これは経済安全保障の「第1フェーズ」とも言える段階であり、2026年現在においては、既に十分ではなくなりつつある。経済産業省は2023年、「経済安全保障に関する産業・技術基盤強化アクションプラン」を公表。経済的威圧を含むリスクが、「いつ・どの分野で具現化するか不確実であること」を踏まえ、個別制度の運用だけでなく、官民の戦略的対話を日常的に講じる必要性を打ち出した。さらに2025年の再改訂版では、わずか1年の間に環境が大きく変化し、技術競争の幅が生成AIや量子のような先端技術から、鉄鋼や造船といった伝統的な製造業にまで広がり、エネルギーの重要性も高まっていると整理している。
2026年に入ってからも、経済安全保障を経営にどのように位置付けるかを示した「経済安全保障経営ガイドライン」等が公表されている。さらに、経済安全保障推進法自体も改正案が国会に提出され、国会で審議がなされているところである(図表1)。
つまり、2022年の経済安全保障推進法における4つの制度は、現在も変わらず重要な基盤ではあるものの、今日の論点はそれにとどまらない。単なる制度運用の強化ではなく、「何を・どこまで・誰と守るのか」、そして「企業がその中でどのような役割を果たすのか」という前提そのものの変化が起きているのである。

経済安全保障をめぐる4つのトレンド
これからの経済安全保障を考えるうえでは、足元の変化の中で論点がどこに広がっているのかを捉え直すことが肝要だ。経済安全保障を巡っては、大きく以下4つのトレンドがある。
1. 守るべき対象が、「物資」から「バリューチェーン全体」へと拡大
2.「信頼できる外部との連携」に軸足が移行
3. 想定すべきシナリオの極端化
4. 官民の連携が「点」から「面」へと拡大
① 守るべき対象が、「物資」から「バリューチェーン全体」に広がっている
第一に、守る対象が、個別の物資から、研究開発・調達・生産・物流・販売・保守更新・データまで含む産業バリューチェーン全体へと広がっている。再改訂版のアクションプランにおいても、単なる物資単位にとどまらず、産業バリューチェーン全体を分析する必要性を指摘している。また、政府は2026年3月19日に閣議決定した経済安全保障推進法の改正案でも、重要物資そのものに加え、その供給に不可欠な「役務」まで対象が拡大している。海底ケーブル敷設や人工衛星打上げがその典型例であり、物を持つことだけでなく、実装し、止めずに運用し続ける力までを国として重視していることが分かる。
経産省が2026年4月に公表した「製造基盤強化レポート」は特に象徴的だ。レポートでは、経済安全保障における「自律性確保」の取組を、「点」から「面」への支援へ転換する必要があるとし、重要鉱物等だけでなく、重要物資の製造に不可欠な基盤的物資や、鋳造・鍛造のような技術要素群にも支援対象を広げるべきだとしている。
例えば、プラスチックや合成繊維の原料となるナフサ(粗製ガソリン)は、現行の特定重要物資には含まれていなかった一方で、石油化学を通じて幅広い素材・部材の出発点となる基盤的物資であり、経済全体の製造能力を支える意味での重要性は高い。また、日本全体として必要量を確保していても、地域や用途ごとにみれば供給の偏りや流通の目詰まりが起こり得る。このように、「重要物資」を完成品や希少素材だけではなく、その製造を支える中間財・汎用化学品・設備・技術基盤まで含めて考える必要がある。
② 「信頼できる外部との連携」へ軸足が移っている
経済安全保障政策は、国内回帰や国内で完結させるだけでなく、むしろ、信頼できる外部をどう組み込むかが非常に重要だ。経済安全保障推進法の改正案でも、重要な海外事業の支援や国際協力銀行(JBIC)の機能拡張が措置として含まれている。ただ、海外展開や共同研究が広がるほど、技術・データ・知財の管理は難しくなる。政府も共同研究の場面も含め、相手先をどのように検討するか、どのようにリスクや情報を管理するかを論点化し、具体的な対応を示している。
また、企業が「どこで・どのように・誰と」、事業活動を行い、技術を管理するかについての政策も変化している。従来は安全保障を主眼に対内直接投資に対する審査や貿易管理を主軸としていたが、経済安全保障の観点から、日本が強みを持つ技術について他国での製造、製品開発を可能とする技術移転を伴う場合、事前届出や官民対話による技術管理の検討が行われている。つまり、「海外から買われる」対内投資に加え、「海外に出ていく」ものも含め、一定の技術移転取引まで政策の対象が拡大しているのである。対象品目は順次拡大し、政府としても注力していることが伺える。
③ 想定すべきシナリオが「極端化」している
環境変化が従来の想定を超え始め、企業が織り込むべきシナリオの幅が広がっている。ホルムズ海峡封鎖はまさにその一例で、現在進行形で事態が刻一刻と変化し、従来は発生確率が高くないと思われていたシナリオも現実に発生している。また、AI進展の加速化など、技術トレンドがもたらすリスクも先鋭化しており、対応を見直す必要がある。
④ 官民の連携が「点」から「面」へと広がっている
①~③の流れに対応すべく、政府としても官民で連携し、双方のコミュニケーションを強化する方向性を強めている。これまでは、個別の申請や審査での接点がメインだった。一方、政府は直近で、企業のより包括的な経済安全保障の対応を促すため、さまざまな文書を発出している。
例えば、2026年1月に「経済安全保障経営ガイドライン(第1版)」を取りまとめ、経済安全保障上のリスクに起因する損失を中長期的に抑え、企業価値の維持・向上も見据えた経営戦略を考えるうえでの推奨事項を提示している。また、経済安全保障推進法改正案においても、シンクタンクや官民協議会を継続的に運用し、政策の検討や情報共有が行われる予定だ。これらの取組においては、官民での人事交流も生じ得ると想定される。このように、各政策に対し、企業が個別にバラバラの「点」で対応する段階から、官民で連携して情報を持ち寄り、分析し、見直すことを繰り返す「面」の段階へと移りつつある。