「日常をアートにする」生き方 東京藝大・西尾美也准教授に学ぶ

近年、 “業務に直結するスキルだけではなく、ビジネスの世界でも幅広い教養や感性も重要だ”という考え方が広がりつつあり、企業もそれを後押しする例が増えている。BCGでもこのほど、日々の業務から一歩離れて視野を広げようという目的で研修「知的インプットセッション」が開かれ、「アート」をテーマに、東京藝術大学美術学部の准教授でありアーティストでもある西尾 美也氏を招いて講義が行われた。

講義は「芸術とは何か」という問いから始まり、「行為の芸術」という観点から、社員の仕事や生活そのものにも芸術性が内在している可能性を見つめ直す視点をもたらす内容だった。

見知らぬ人と服を交換する

西尾氏は2007年からライフワークとして「セルフ・セレクト」と題したプロジェクトに取り組んでいる。「セルフ・セレクト」は、世界各地で見ず知らずの人たちと衣服を交換する取り組みだ。現地の言葉を使い、カタコトで通行人に「僕と服を交換してくれませんか?」と声をかけ、交渉する。ケニアのナイロビやニュージーランドのオークランドなどさまざまな都市で実施しており、断られることも多いが、親身になって応えてくれる人もいるという。了承が得られたらその場で着替え、次のような写真を撮る。

ケニア・ナイロビでの「セルフ・セレクト(衣服交換)」プロジェクト(西尾氏提供)

このプロジェクトは、都市における見知らぬ他者との“儀礼的無関心”の状態から抜け出し、コミュニケーションの壁を取り払う試みだ。服を交換するという行為は見知らぬ人との間に未知のコミュニケーションを生み、「自分の服は自分のもの」という前提を問い直す。

西尾氏は、こうした他者との間に生まれる行為や関係性から「アート」なるものが立ち上がると考える。誰もが毎日行う「服を着替える」行為は、意味や状況を少し置き換えることで芸術になりうると説明した。

“西成のおばちゃんたち”とつくるブランド

また、西尾氏はファッションブランド「NISHINARI YOSHIO」も展開している。このブランドは、大阪・西成で暮らす高齢女性たちとともに立ち上げた。自身の名前「にしおよしなり」に「西成」という言葉が含まれていたため、残りの文字でYOSHIOと名付け、架空の人物としてブランド名にした。

“日雇い労働者のおっちゃんの町”というイメージの西成で、あえて女性たちに焦点を当て、“おばちゃんたち”が生活の中で築いてきた知恵や技術と、西尾氏のデザインの発想を掛け合わせた制作活動を行っている。

たとえば、西尾氏が「一番身近な人のための服を作る」というお題を出す。すると、焼鳥屋の串を刺す内職をしているおばちゃんが「店主が腕を真っ赤にして焼き鳥を焼く姿を見てかわいそうだ」と言い、腕を守ってあげたい思いを100枚のパッチワークで袖口部分を縫い合わせて表現したジャケットを制作した。

「次の人生に3着だけ持っていけるならどんな服を作る?」というテーマでは、お弁当づくりで150個の目玉焼きを毎日焼いている女性が、「頭から離れないから」と目玉焼きをイメージしたセーターを考案したこともあった。

焼き鳥屋の店主のための「やきとりジャケット」
目玉焼きをイメージした服(西尾氏提供)

このように「NISHINARI YOSHIO」では、一着一着が作り手の人生や記憶から生まれた物語を持っている。西尾氏はこの活動を、「一見『モノ』としての服を作っているように見えるかもしれないが、彼女たちの人生の思い出が詰まった『コト』としてのファッションを生み出している」と解説した。

講義ではドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という概念にも触れた。これは「人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない」という呼びかけである。芸術家になるつもりがなかった“おばちゃんたち”が、西尾氏とコラボレーションすることでアートのような創造をしているこの活動にも、社会彫刻の概念が通じるといえるだろう。

「NISHINARI YOSHIO」の作品は、期間限定でBCGのオフィスにも展示し、社員が日常の空間でアートに触れることができる機会になっている。

BCG東京オフィスでの展示の様子

モノではなくコトとして服をデザインする

自身の活動では、ファッションや装いを素材にした作品を多く手掛けてきた。一般的なファッション・デザインでは「モノ」としての服をつくるのに対し、西尾氏は「人が服を着ている光景」に注目する。この発想を「ファッションスケープ・デザイン」と名付け、服を通じて生まれる人と人との関係性そのものをデザインの対象ととらえ、 「モノ」としての服ではなく「コト」としての装いをデザインするという実践を行っているという。

そのほかの作品例として、持ち寄った古着をみんなで切り開き、パッチワーク状に縫い合わせて巨大な空間をつくるプロジェクトや、普段は屋内にあるはずのカーテンを外に出して柔らかい建築空間を生み出す活動、裏地の産地として知られる富士吉田で、裏地を縫い合わせた布の内側から顔を出すと「裏富士」が見える、といった取り組みを紹介した。

縫い合わせた裏地から頭を出すと「裏富士」が見える(西尾氏提供)

こうした活動の背景には、「人間は生まれ育った環境における装いの方法から容易には抜け出せない」という問題意識があるという。もし私たちがケニアのマサイ村や、200年前の日本に生まれていたら、今とは全く異なる装いをしているだろう。装いは無意識のうちに人の所属を規定し、「同じ社会の一員である」という共通認識にもつながる。しかし西尾氏は、その共通認識が、ありえたかもしれない別のコミュニケーションを遮断しているのではないかと考えている。装いが閉ざしているコミュニケーションを装いによって取り戻せないか――そうした発想が西尾氏のアート活動の根底にあるのだ。

講義後に設けられた質疑応答の時間では活発なやり取りが交わされ、「芸術の中で出会う幸福や充足感は、社会で手に入れる安定や成功とはどこか違う手触りなのか」という質問も寄せられた。

講義では、「行為の芸術」の観点で実践する国内外でのさまざまな取り組みを紹介した

「近代芸術は、絵画と彫刻などのアートを生み出す作り手と、それを鑑賞する受け手という固定した関係図式ができており、作品が美術館やギャラリーに展示され、アート関係者に評価されることを目指す構造になっている」と西尾氏は話す。一方、自身はそうした芸術の在り方を批判し、権威ある場所以外のところで人々の間で自然発生的に立ち上がる創造性も芸術としてとらえ直そうと、アフリカなど世界のさまざまな土地で実践を重ねてきた。

こうした経験を踏まえ、「対象としての芸術を見て、それを知ることではなく、『私は芸術である』『私自身が芸術になる』という体験が大事だと思っている。芸術として生きることをそれぞれが実感できるような社会の仕組みを考えてほしい」と答えた。

研修の企画を担当した、BCG社員で東京藝術大学の博士課程に通う平岡 美由紀は「モノを作るだけではなく、行為自体が芸術になる。皆さんの生き方や働き方の中にも実は芸術性があることに気づいてもらいたい」と呼びかけた。

企画の責任者でBCGのマネージング・ディレクター&パートナーの中村 健は「西尾氏は我々が考えたことのない切り口で世界を見ており、その独創的な視点を驚くほどロジカルに人に伝えている。これはコンサルタントの仕事にも通じるところがあり、学びが大きかった」と話している。

(写真左から)BCGプロジェクトリーダー 平岡 美由紀、講師を務めた東京藝術大学の西尾 美也准教授、BCGマネージング・ディレクター&パートナー 中村 健

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