国際標準戦略で市場を創る 国と企業の成長に必要なルール形成力

政府は、6月3日に開催された知的財産戦略本部の会合で、「新たな国際標準戦略」を決定した。ボストン コンサルティング グループ(BCG)は数年にわたり、この戦略策定を支援してきた。本連載の第1回では、この新たな戦略について、策定の背景や概要、政策から企業が得られるヒントを探る。

「国際標準戦略」策定の背景

近年、GX(グリーントランスフォーメーション)が加速し、多くの企業が脱炭素への対応を迫られてきた。こうした動きは、ほとんどの経営者にとって予想外だったはずだ。「カーボンニュートラルな製品を取引先から求められる」―そんな状況を5年前に予想できた人はほとんどいなかっただろう。

実際に、企業がその要望に応えて製品を企画しようとする際に直面するのが、カーボンニュートラルの基準を定めた国際規格「ISO14068-1:2023」だ。この規格に適合しなければ、製品を「カーボンニュートラルなもの」として市場に出すことはできない。

このように、ある規格や基準が設定されると、それに沿った製品やサービスへの需要が生まれ、産業全体の構造も変わっていく。企業はこうしたルールに対応しながら競争を展開することになる。いまや、規格や基準といった目に見えないルールが、市場の動きに直接影響する時代になってきている。

たとえば、ある企業の研究開発部が、CO2排出を抑え、かつ高い耐久性を誇る新素材を開発したとする。だが、新素材であるがゆえに、その性能を客観的に評価するための基準や試験方法がまだ整っていない。広告を出して製品の魅力をアピールしても、説明が専門的すぎて取引先の反応はいまいちだ。技術が優れていても、ビジネスに結びつかない。こうした残念な事態が起きるのはなぜだろうか?

規格や基準などのルールがなければ、技術は市場で正しく評価されない。つまり、ルールは市場での競争のあり方を決める土台ともいえる。受け身でルールに従うだけではなく、ルール自体を自社に有利な形に作り上げることができるかが、事業の成否を左右するカギとなる。だからこそ、企業はこれらのルールにどう向き合い、どのように活用していくかという視点、すなわち「標準戦略」の構想力が求められる。

ここでいう「標準戦略」とは、「標準化戦略」とは異なる。「標準化戦略」は、自ら開発した技術を他社にも自由に使えるよう開放し、なるべく多くの人に使わせようとする、ともすれば、ビジネス上の結果を軽視することに繋がりかねない考え方である。一方で「標準戦略」は、こうした標準化の考え方を戦略的に問い直し、自社の技術やルールを中心に据えて、市場の基準を能動的に形成することで、競争上の優位を築こうとするアプローチだ。

先ほどの例だと、新素材の製造技術は企業の競争優位性の源泉であるため秘匿化し、標準化を避けるべきだ。一方、①新たな耐久性のコンセプト、②その評価基準、③この新素材が活用される下流製品の仕様などについては、積極的に規格化・標準化を進めることで、その素材が使われる新たな市場を創出し、拡大できる可能性がある。

「標準戦略」では、自社の事業に有利になるルールを逆算し、知的財産の管理や標準化への対応などを戦略的にマネジメントする。これは単なる技術戦略にとどまらず、事業戦略そのものでもある。言い換えれば、「標準戦略」とは、技術と事業をつなぐ新たな競争戦略といえる。

戦略的・政策的な標準活用に向けた思考プロセスの流れを表した図表。戦略課題の把握と特定から始まり、オープン&クローズ戦略の検討、標準の戦略的な活用の検討へと進む。

この戦略は、個別企業の経営にとどまらず、国単位でも展開できる。長年育ててきた技術を「事業」(つまり業界の産業競争力や国の成長戦略)につなげるためには、産業や業界といったマクロな単位で、自国に有利なルールや関連する規格・標準を戦略的に考える必要がある。

さらに近年では、ルールや標準の対象の範囲や規模がより広がっている。個々の細かい技術を規制するのではなく、「カーボンニュートラル」のような大きな理念や目標を掲げたり、複数の業種が結びつく包括的なリファレンス・アーキテクチャー(共通の設計図)を示したりと、一段上のレベルで物事を規定するルールがある。こうした一段上のルールにより、非常に大きな市場が形成される例が急速に増えているのだ。しかし、そうした巨大なルールづくりは、多くの場合一企業の手に負えない。

国家の産業政策がさまざまな領域で存在感を強める中、欧州・米国・中国といった主要国の政府が、国としての「国際標準戦略」を相次いで打ち出している。その動向の背景は、ここにある。

新たな国際標準戦略の概要

このような状況の中、政府が打ち出したのが、冒頭で述べた「新たな国際標準戦略」である。実は、日本政府は過去にも何度か「国際標準戦略」を策定してきた。では今回の戦略はこれまでと何が違うのか。BCGでは、その違いを以下の3つのポイントに整理している。

1:「戦略領域」の選定

今回の戦略の大きな特徴のひとつが、環境・エネルギーなど、8つの戦略領域(およびそれに準じる重要領域)を選定し、取り組みの対象や標準化のテーマを具体化している点だ。

戦略領域・重点領域
戦略領域
① 環境・エネルギー ② 食料・農林水産業 ③ 防災
④ デジタル・AI ⑤ モビリティ ⑥ 情報通信
⑦ 量子技術 ⑧ バイオエコノミー
重点領域
① 介護・福祉 ② インフラ ③ フュージョン
④ 宇宙 ⑤ 半導体 ⑥ 素材
⑦ 資源 ⑧ 海洋 ⑨ 医療・ヘルスケア

過去に策定された戦略では、総論的な方針にとどまるものもあった。たとえば2006年に策定された「国際標準総合戦略」では、国際標準の重要性を認識し戦略的推進を目指すものの、具体的な分野別の実践策には踏み込めていなかった。しかし、欧米や中国などの政府が、それぞれの目標に沿って個別分野の標準戦略に取り組む中、日本も今回の策定で具体的かつ実効的な戦略を目指したと評価できる。

今回の戦略では戦略領域と重点領域の計17分野別に「取組の方向性」が示され、「取組の対象となり得る個別分野」として、詳細な技術や製品がリストアップされている。特に上記の戦略領域や重要領域に関わるビジネスに携わる人は、ぜひ内容を確認してほしい。

「新たな国際標準戦略」で選定された8つの戦略領域と9つの重要領域を示す図表。選ばれた領域には戦略策定、モニタリング・フォローアップの実施、人材育成などの支援を実施する。

2:「司令塔機能」の導入

第2のポイントは、こうした分野の標準戦略を推進するため、官民一体の「司令塔機能」を設けるとした点だ。

かつては「国際標準への対応は企業の経営課題であり、基本的には個別の企業が行うもの」と考えられていた。たとえば、2011年、政府が7つの「国際標準化特定戦略分野」を選定した後にも、業界内での協調や官民の連携が大きく広がったとは言い難かった。しかし、範囲や規模が広がったルールの形成や標準化が求められる現在の状況では、すべてを企業任せにする考え方は実態に合わない。実際、たとえばサステナビリティをめぐる欧州のルール形成では、官(欧州委員会)・民(企業)に加え、学(アカデミア)、金(金融機関)、さらにはNPOなど多様なプレイヤーが連携している。

新たな国際標準戦略で示された官民一体の「司令塔」には、こうしたルール形成や標準化の動きをすくい上げ、個別企業だけでは対応が難しい課題を戦略的に進めていくことが期待される。標準戦略に関心のある企業は、この司令塔の動向に注意を払うことが重要だ。

3:「標準エコシステム」への注目

3点目は、「標準エコシステム」への注目である。新たな戦略における「標準エコシステム」とは、先に触れた司令塔機能(産官学金など多様なプレイヤーの連携)を中心に、標準戦略を担う人材の育成や、標準戦略に取り組む企業や組織への支援といった機能までを指している。

特に、支援機能への言及は、今回の戦略の特徴だと考えられる。欧州の企業が主導する標準化では、認証機関や専門のコンサルティング組織が企業を支え、規格の検討・策定や国際機関での標準化活動を二人三脚で進める例が多く見られる。こうした専門サービスが標準戦略の推進を支える重要な役割を果たし、ひとつの市場として機能しているのだ。

今後、新たな国際標準戦略が実行段階へと移るにつれ、標準戦略に精通した人材や、専門の支援サービスの需要が拡大すると見込まれる。国境を越えてこうした人材やサービスへのアクセスが拡大するとともに、日本国内の人材やサービスについても質と量の向上が求められるだろう。政府の施策展開に引き続き注目しておく必要がある。

標準戦略の実装に向けて企業が政策から得られるヒント

政府による「新たな国際標準戦略」が策定されれば、今後国内でも戦略領域をはじめ、さまざまな分野や業界で、標準戦略の実装に注目する企業が増えていくと考えられる。その際には、次のような点を意識しながら、実装を進めてほしい。

・経営との一体化

上記のように、標準戦略は技術戦略であると同時に事業戦略でもある。少なくとも「事業全体」、あるいは、限られた領域で事業を展開する中小企業であれば「企業全体」を見渡せる立場から、広い視野で俯瞰し、各機能を連携させながら推進することが必要になる。

言い換えると、経営者自身が「標準戦略は経営戦略である」という認識を持つことが重要だ。その認識がなければ、技術部門だけに任せたり、マーケティングや営業などのビジネス部門にゆだねたりしても、本当の意味で標準戦略を動かすことはできない。経営者自身、あるいは経営企画などの企業全体を横断する機能が、標準戦略に関する感覚や知見を自ら磨いていくことが、成果を左右する。

・自社エコシステムの構築

技術への理解、顧客のニーズや競合の動向といった自社の事業環境への感度、そしてルール形成や標準化に関する実務経験など、標準戦略を検討するうえで求められる基礎的な知見は多岐にわたる。さらに、これらを土台に、事業戦略から知財戦略や標準戦略へとつなげるための独自のノウハウも必要になる。

もちろん、こうした知見やスキルをすべて備えた人材を見つけるのは容易ではない。だからこそ、複数の人材が連携してチームを組み、社内で小さな「標準エコシステム」を構築することが、個社レベルの取り組みにおいて重要となる。

この際、チームの輪を社内だけに閉じないでほしい。特に、ルール形成の実務経験や標準戦略を検討するノウハウは、社内に十分に蓄積されているケースはむしろ稀だ。海外も含めた社外に目を向け、専門家に積極的にアクセスすることをためらってはいけない。まずは社外から知見を吸収し、その上で次のステップとして、自社での人材獲得や育成に取り組むべきだ。

・官民対話の加速

政府は、新たな国際標準戦略で、官民一体の司令塔機能を設け、前述の17分野で戦略を策定・推進する構えだ。もし自社に有利な標準戦略のアイデアがあれば、ぜひ政府と議論してみてほしい。もちろん、すべてのアイデアが、国としての国際標準戦略にすぐに採用されるわけではない。しかし、先述の通り、「標準化は個別企業の営み」という時代はすでに終わっている。チームの輪を政府まで広げる挑戦には価値がある。

標準戦略は長い時間を要する。それでも、市場形成に成功したときの果実は大きい。読者の皆さんは、市場を創り、技術でも事業でも勝つ準備ができているだろうか。

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