行政をデジタル技術で「個別最適化」し信頼の再構築を――『BCGが読む経営の論点2026』から

いま、日本の行政に対する国民の信頼が揺らいでいる。その背景には、担い手不足や既存の制度の限界が行政サービスの質を低下させるという負のスパイラルがある。国民からの信頼を回復して必要な支援を必要な人へ確実に届けるためには、従来の形式的平等に基づく手続き主義から脱し、生成AIやデータ連携を活用する「個別最適化行政」が目指すべき姿となるであろう。

BCGが読む経営の論点2026』(日本経済新聞出版)では、BCGパブリックセクターグループのアジア・パシフィック地区リーダー兼日本共同リーダー丹羽 恵久と同グループコアメンバーの河村 有希絵が、日本の行政が直面している課題とそれを乗り越える方法を、海外の先進事例も交えて解説している。本記事ではその一部を要約して紹介する。

「平等」行政から、人の手を介さない「個別最適化」行政へ

日本の行政は長らく「平等」を重視してきた。すべての住民に対して同じ条件・同じ書類・同じ手続きを課し、均質なサービスを提供することで公平性を担保するという考え方である。しかし、この制度設計は、現場における膨大な〝人の手〞を必要とし、窓口の混雑や審査の遅延、職員の過重労働といった問題を恒常化させてきた。公平を担保するための仕組みが、皮肉にも「不便さ」と「疲弊」を生み出してしまっている。

だが近年のデジタル技術の進展により、この構造に抜本的な変化が起きつつある。生成AI、データ連携、ルールエンジン(業務知識をルールとして蓄積し、高度な意思決定を自動化するシステム)といった技術と、マイナンバー制度などの基盤を活用すれば、住民一人ひとりの状況を把握したうえで、「誰が、どのタイミングで、どの支援を必要としているか」を事前に察知し、自動的に支援を届ける「個別最適化行政」が実現可能となる。

これは単なる業務の効率化ではない。むしろ、従来の行政ではカバーしきれなかった人々に、より的確でタイムリーなサービスを届けるという意味で、行政の「質的向上」といえる。

世界はすでに動いている

個別最適化行政の流れは、今や多くの国々で現実のものとなりつつある。制度の持続可能性が問われ、行政の信頼が揺らぐなかで、デジタルを活用した「手続きに頼らない支援」への転換は、もはや選択肢ではなく必然となっている。以下、そうした動きを「何がポイントなのか」というテーマ別の視点で整理する。

ライフイベントに〝先回り〞する行政

行政手続きを「申請」から「提案」へと変える動きは、多くの国で加速している。特に顕著なのが、住民のライフイベントに応じて、申請せずとも行政側から自動的に必要な支援や情報を届けるアプローチだ。

例として、シンガポールは「予測的サービス(predictive services)」の概念を行政全体に取り入れているといえる。全国民に配布されたデジタルID「SingPass」を軸に、出産や退職などのライフイベントに応じて、関連する手続きや給付が申請不要で案内される「LifeSG」などのサービスが展開されている。

たとえば子どもが生まれた際は、親は「LifeSG」アプリから出生登録ができ、さらに金融機関での子ども用口座の開設や子ども手当(Baby Bonus)の受給手続き、夫婦での育児休暇分配、子どもの図書館会員登録といった手続きがワンストップで可能になる(図表)。

シンガポールの「LifeSG」アプリでは、出生登録から子ども手当受給などの手続きがワンストップで可能

このとき、各手続きの申請はもちろん、来庁しての支払い等も不要だ。手元の携帯電話ですべてが完了する。この制度設計の根底には、住民が「申請する」前に、政府が「察知し、動く」という姿勢がある。

個別最適化とマイデータ活用

「誰に何を届けるべきか」を判断するためには、住民ごとの情報に基づいた最適化が欠かせない。その鍵となるのが、データの統合と活用、すなわち「マイデータ」の仕組みである。

エストニアは、その象徴的存在だ。X-Roadと呼ばれる政府横断のデータ連携基盤により、医療・税・教育・不動産などあらゆる行政データが一元的に連携されており、99%の手続きがオンラインで完結する。処方箋の発行も企業の登記も数分で終わり、「政府が見えないほど自然に存在している」とまで称されるほど、システムが社会に溶け込んでいる。

小規模だからこそできる柔軟な最適化

これまでの事例は比較的規模が大きい取り組みだが、これは小さい自治体には個別最適化行政への転換が難しいという意味ではない。むしろ、小規模自治体のほうが現場との距離が近く、柔軟に制度設計を見直したり、IT企業や地元住民と連携した新しい取り組みを実施したりする余地がある。

たとえば、リトアニアは国家規模が小さいことを強みとして活かし、柔軟かつ迅速な電子政府化を実現した。政府機関の階層が比較的少なく、政策決定から実装までの距離が短いため、電子IDやオンライン行政の法制度整備を、わずか数年で全国展開できた。結果として現在、行政サービスの90%以上がデジタル化されており、本人確認にも電子IDが利用されている。また、行政サービスの利用データや市民からのフィードバックが迅速に収集・分析される仕組みが構築されており、UX(利用者体験)の改善に直結している。

ここまで見てきた取り組みは、決して単なる技術の導入や業務効率化にとどまっていない。根底にあるのは、「行政をどう動かすか」ではなく、「行政とは本来どうあるべきか」という、社会の設計思想そのものへの問い直しである。

各事例に共通しているのは、アプリやシステムの整備だけでなく、制度設計、法改正、ガバナンス体制の構築といった包括的な取り組みを並行して進めている点である。そして、このような取り組みが成立する背景には、技術の受容力だけでなく、住民との信頼関係、そして「行政は市民の生活の伴走者である」という共有された価値観がある。つまり、技術とは人々の信頼を獲得するための手段であり、目的ではない。

したがって、技術導入の是非を問うのではなく「我々はどんな社会をつくりたいのか」「行政に何を期待するのか」というビジョンの有無が、個別最適化行政への移行の可否を決定づける。制度も法律も、そのビジョンを具現化するための道具である。このように、世界の国々はデジタルをきっかけに、社会契約の再設計に踏み出しているのである。

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