ローマ帝国の興亡に学ぶ 再創造を導く経営(前編)【BCGクラシックス・シリーズ】

古代ローマの興亡には、創造性を源とする繁栄と、制度疲労や指導者の感度の低下がもたらす衰退という、組織の成長・停滞を分ける要素を見てとることができる。創業時の原動力を失ってしまった企業が再創造を導くためにはどうすればよいのか。ローマ帝国をめぐる歴史を手がかりに現代の経営に通じる示唆を取り上げた2003年発表のBCGの論考を紹介する。

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ビジネス環境が不透明な今だからこそ、勇気をふるい、企業の再創造を図る時である。成長、パフォーマンス向上といった課題に対して、抜本策を見出し実行する強いリーダーシップが必要だ。

歴史を振り返ってみよう。偉大な国家は、英雄的な創造力から生まれる。企業もこれと同じで、創業時には創造力を持っている。先入観など持たずに仕事に行き、毎日が興奮の連続で、毎週新しいチャンスに挑戦していた時期がある。採用も大胆に行い、並外れたスキルとエネルギーを持つ人材を数多く集めていた。混沌とした環境は、厳しい試練と成功の感動に満ち、ビジョンと直観力と粘り強さを併せ持った優秀なリーダーが、賢明に先行投資を行っていた。

ところが残念なことに、多くの企業は、いつしか創業時の原動力であったこのような特性を失ってしまう。明確なビジョンを持った創業者のあとをプロフェッショナルな経営者が引き継ぎ、型にはまった業務プロセスや管理手法を導入する。リーダーたちは若いときの情熱を失い、遺産を維持しようと防戦一方になり、そうこうするうちに他社に市場を奪われることになる。

歴史ある企業は、自社のことを完成したものと考えがちだ。外部のイノベーションを過小評価するか全く無視し、時代遅れで偏狭な経験則に従うようになる。経営幹部の意思決定も遅れがちで、優柔不断になる。往々にして彼らの市場アンテナは萎縮したり、壊れたりしている。

こんな成熟企業でも、再創造を推し進めるリーダーが現れれば、再び成長軌道に乗ることができる。リーダーは大胆な決定を下し、過去のやり方にとらわれず、将来の方向性をより良いものに定義し直す。そして外部のアイデアを取り入れ、組織を活性化する。

ローマ帝国繁栄の軌跡

古代ローマ帝国の繁栄と衰退という一大叙事詩から、私たちは、まばゆいばかりの創造性を生む要素が何であったのか、そして、それらが不注意や奢り、油断によっていかに簡単に消し去られてしまうかということを学ぶことができる。

まずは成功要因から見てみよう。ローマとカルタゴが争っていた紀元前3世紀頃の世界は、まだ随分と野蛮な状況にあった。対立する部族が、原始的で野蛮な方法で略奪し合い、相手を捕まえて奴隷にする。自給自足であるため、不作の年にはパンと水とわずかなワインがあるだけで、飢餓の危険がある。まさに無法地帯である。政治史研究家のトマス・ホッブズはこうした状況を、「人の一生 ― 孤独で貧しく不快で野蛮で短い」と表現した。

その後紀元前202年に至って、ローマ人たちはハンニバルを街から追い出し、彼の象部隊もイタリア半島から姿を消した。ハンニバルに勝利した後、もはやカルタゴはローマにとって脅威ではなくなった(図1参照)。この頃のローマはゆるく結びついた同盟国家だったが、世界征服を可能にするいくつかの特性がすでに備わっていた。

ローマ人には団結心とともに、富と力を生み出そうとする使命感があった。ローマ帝国初期のローマの人々は、地中海地域を征服できると信じていた。彼らは、生産性を向上させて余剰を生み出し、その余剰を用いて、富の構築と成功のモニュメント建設に向かって歩き始めた。野心と組織が、彼らの成功の基盤だった。

その後の5世紀間、彼らは次の4つを人生の指針にした。「専門知識・技能」、「継続的イノベーション」、「後継者育成」、「プロセス・エンジニアリングによる生産性向上」である。

1. 専門知識・技能

ローマ帝国で最初に専門知識・技能が必要とされたのは、軍隊においてである。当時、平均寿命はわずか32歳だったが、10代の若者たちは20年の兵役を満了するつもりで軍隊に入隊した。弓、カタパルト、剣といった武器に熟練したり、老練な戦場指揮官になったりするためには、最短でもそれくらいの期間が必要だと考えられていたのである。

現在のフランス、ドイツにあたる地域へ北進したローマ軍は、精密さ、経験、訓練、規律、技術、専門知識といったものを広めた。最盛期のローマ軍は28のレギオン(軍団)から成り、1レギオンには最多で約5,000人の兵士が所属していた。征服した土地に駐屯したレギオンは、そこでローマの“文化”を普及した。各レギオンが駐屯地にもたらした経験と専門知識は、平均すると約50,000人年分である。ローマ軍に勝てる軍隊は世界のどこにも存在しなかった。そして20年の兵役を満了するまで生き残った兵士たちは、土地、金、特権といった恩給を十分に受けて引退した。20年という彼らの兵役期間の長さと経験の深さを考えると、現代社会で従業員が一つの仕事に従事する平均年数など高が知れていると言わざるを得ない。

2. 継続的イノベーション

ローマ帝国における継続的イノベーションとは、「製品開発工学と、技術的優位性獲得のための応用」である。ローマ帝国の工業技術は、当時としては奇跡的な高い水準を誇っていた。何しろ彼らは、上下水道、道路建設というインフラの力を熟知した初めての体制である。上下水道の完備は、都市建設の必須要素であった。都市が建設されると専門化が進み、生産性が増大した。ローマ人は、この生産性向上により生まれた余剰により、統治能力を獲得した。また道路整備が進むと、指揮統制のための軍隊を迅速に配置できるようになった。

当時ローマ人が築いたモニュメントが、いまだにヨーロッパや中東の各地に残っている。橋をかけ、市壁や堀を建設するときの速さでローマ帝国に並ぶものはなかった。また、ローマ軍を支えていたのは、史上初の大量生産である。彼らの鎧、兜、武器は大量生産されていたのである。

ローマ人の高い技術力は、道路や水路の建設、鉱山の採掘といった大規模な工事だけではなく、陶器やガラス製品などの製造にも生かされた。また史上初めて、世界をまたにかける消費財のサプライ・チェーンを構築したのも彼らである。エジプトの穀物、南地中海の魚介類、フランスのワイン、中東の絹は、定期的に帝国の首都にもたらされた。軍産複合体がイノベーションを求めたことにより、ローマ人の技術はどんどん進歩していった。そして、領土拡大と税収増加という形で、ローマ帝国の収益は拡大していった。

ローマ帝国の拡大は、ある一定の方式に沿って進められた。まず彼らは辺境に覇権を及ぼすため、重要管理点ごとに堡塁を築いた。そしてこの中に必ず、穀物貯蔵施設、浴場、病院、指揮官宿舎、兵舎という5種類の建物を設けた。そのおかげで彼らは、十分な規模と高い効率、そして、累積経験量の増加に従って、実質コストが低下していく経験曲線効果を得ることができた。(隆盛期のローマ帝国の領土は図2、図3を参照。)

3. 後継者育成

ローマ帝国の頂点に立つ皇帝は、世襲ではなかった。皇帝は在位中に次の皇帝を選び、その人物を「養子」にすることになっていた。成功した皇帝は、有力支持基盤である軍隊からも厚い信任を得ていた。後継者には、何年にもわたる帝王教育が施された。ローマ帝国の最盛期は、シーザーからアウグストゥス、ティベリウスへとリーダーの座が受け継がれた時期にあたる。その後リーダーシップの継承がうまくいかなくなり、軍隊の支持も得られなくなると、帝国は暴動と内乱という危機にさらされた。

ローマ軍は、その強さと回復力と柔軟性で伝説的な存在だった。彼らの忠誠心と組織は、レギオンと呼ばれる軍団を単位に成り立っていた。8人隊を10隊束ねた中隊をケントゥリアと呼び、ケントゥリアを6隊束ねた大隊をコホルト、コホルトを10隊束ねた軍団をレギオンと呼ぶ。戦闘は3隊列編成で行われ、前列には勇猛果敢で向こう見ずな最年少の兵士、中列には経験豊かな古参兵、後列には予備兵がそれぞれ配置された。各分隊は常に明確な役割を担い、兵士一人ひとりは担当する武器の扱いに精通していた。彼らは隊列における自分の位置を把握し、戦闘で死傷者が出たときの対応をよく理解していた。

彼らの組織の教義には、リーダーシップの極意と勝利の秘訣が記されている。帝国勃興期の軍司令官の一人は、次のようなルールを書き残している。

1) 兵士には戦闘前に食事と休息をとらせる。
2) 敵に対する兵士の怒りを煽る。
3) 高地の有利性を利用する。
4) 荒地に布陣する。
5) 戦闘開始後は、太陽を背にして戦う。
6) 歩兵は中央に配置する。
7) 予備兵を十分に確保する。
8) 敵陣を突破するときには兵力を集中する。
9) 退路を確保する。
10) 敗残兵は騎兵で追撃する。

ローマ帝国の指導者らは詳細なマニュアルにより、こういった極意を伝承した。皇帝のみならず、軍のリーダーシップとノウハウもきちんと継承され、成り行き任せの部分はほとんどなかったのである。

4. プロセス・エンジニアリングによる生産性向上

ローマ帝国の技師は、仕事を最小単位に分解し、あらゆる人が貢献できるようにプロセスを再設計した。作業を積み上げ、プロセスを再構築することで、彼らは生産性と品質を向上させたのである。

ローマ帝国政府はプロフェッショナル・マネジャーを好んで登用し、彼らの経験を最大限に生かし、パフォーマンスに応じて報奨を与えた。最盛期に大帝国の中枢を握っていたのは、縁故ではなく能力で選抜された1万人にも満たないプロの官僚たちである。彼らは長期計画策定、兵站、軍事作戦、インフラ整備といった課題を中心に、伝説的手腕を発揮した。彼らは世界最大の軍隊の兵力を集め、その兵糧と装備を確保し、また累進税を徴収し、兵器や建築用機材などの物資を製造・輸送し、商業を促進しなければならず、そのための腕を磨いた。

ローマ帝国の覇権が最も拡大した時期、皇帝は市民の目によく見える存在だった。市民とコミュニケーションをとり、真実と対峙することを厭わず、高潔無私の行為に褒美を与えた。なかでも優れた皇帝は、問題が起こるきざしが見えると、いちはやく手を打った。

ローマ帝国のために働いた者には大きな富が与えられた。ローマの社会には明確な経済階層があった。紀元1世紀中最大の富豪である皇帝ティベリウスは、実質ベースで約270億ドルの資産を所有していた。またアフリカ大陸北岸は、わずか6人の男たちによって全域が支配されていた。富の集中は大きな投資計画を可能にし、ローマの軍事力と支配力を一層強大なものにした。

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後編では、帝国衰退の要因と、それに学ぶべき視点を取り上げる。

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