医療機器から食品まで 業界を超えて見えてきたR&D変革の4つの視点

ビジネスパーソン向け映像講座を提供するBBT Ch(ビジネス・ブレークスルー チャンネル)で、BCGのマネージング・ディレクター & パートナー中村 健が講師を務める講座「イノベーションを生み出すR&D戦略」では、先進的な取り組みを進める企業の人々に話を聞いている。本連載では、その内容の一部を紹介する。(映像講座の視聴はこちらから。会員限定)

異分野を経験した後野氏が語る、R&Dに通底する本質

今回のゲストは、日清食品ホールディングス 執行役員 フューチャーフード担当の後野 和弘氏。
元々は、内視鏡や外科手術機器など、医療機器の研究開発にオリンパスで約33年間携わっていた。2017年にはオリンパス在職中に発明した技術が評価され、紫綬褒章を受章。その後、2025年に日清食品へ移り、33種類の栄養素とおいしさの完全なバランスを追求したブランド「完全メシ」を中心とするフューチャーフード事業を牽引している。医療機器と食品という、一見まったく異なる領域を経験してきた後野氏だが、「イノベーション創出に必要な条件には、業界を問わず共通する部分が多い」と語る。同氏は、R&Dを考える上で重要となる4つの視点を次のように整理した。

R&D・Innovationに関する4つの視点
BBT Ch講座「イノベーションを生み出すR&D戦略」より


① 研究と開発のギャップ:基礎研究で生まれた成果が、製品開発・事業化のプロセスにうまく橋渡しされず、「研究の出口がない」という状況が多くの企業で解消できていない。研究側と開発側のマインドセットの違いが影響している。研究活動には、その成果が市場で価値を生み、事業に貢献できるはずだ、という仮説が必ずある。その仮説を市場や社会の状況に応じてチーム全体でアップデートしていく必要がある。

② ニーズドリブン vs テクノロジードリブン (顧客ニーズ主導 vs 技術主導):顧客や市場のニーズを起点にする発想は不可欠だが、顧客自身がまだ言語化できていない課題に先回りし、ときに市場そのものをつくり出すテクノロジードリブンな投資も欠かせない。両者のバランスを取ることが問われる。

③ 顧客ニーズの捉え方:顧客に「何が欲しいか」と尋ねても、直接仕様が返ってくることはほとんどない。現場に足を運び、仕事の様子を観察し、無意識の動きや癖の背景にある理由を掘り下げていくことで、顕在ニーズだけでなく潜在ニーズにも迫ることができる。

④ イノベーション・新規事業におけるリーダーの役割:新規事業や長期の研究テーマは、フェーズが進むほど投資規模が膨らむ。そのときに優先度が低いという理由で止められないよう、経営陣と目的や期待値、必要なリソースについて早い段階から合意しておくことが重要になる。


これら4つの視点は、領域が変わってもR&Dの現場で必ず直面する本質的なテーマだと後野氏は言う。企業はこれらの課題とどう向き合うべきなのか。中村や鹿野とともに議論した。

イノベーションを生み出す、好奇心と歩み寄り

鹿野:まず「研究と開発のギャップ」について伺いたい。長年R&Dに携わってきた中で、このギャップは広がっているのか、それとも解消される傾向にあるのか。

後野:印象としては「昔からあまり変わっていない」。多くの企業で「研究の出口が見つからない」という声はいまだに聞くし、決定打となるソリューションも簡単には出てこないと感じている。私はマネジメントとして研究者に対し、「この研究は将来どんな事業性があり得るのか」「根拠となる仮説は何か」「何がクリアされれば仮説の確からしさが高まるのか」などを問い続けてきた。ただ、これが打ち手としてすごく良かったのかというと、まだ確信は持てていない。他社の事例でいうと、研究と開発をつなぐ「コーディネーター」という存在を置くのも手だと思う。研究テーマの中身を理解しつつ、事業側の状況も見渡せる人材で、研究の全体像と事業のニーズの両方を考えながら調整を行う役割だ。

中村:私の専門である製薬業界でも同様で、研究と開発の間を埋める機能としてトランスレーショナル・リサーチ1がある。研究者ひとりに両方のスキルを求めるのではなく、組織として間を埋める仕組みをつくるという発想は業界をまたいで共通している。

鹿野:「ニーズドリブン vs テクノロジードリブン」についても伺いたい。昨今はニーズドリブンが強調される一方で、テクノロジードリブンは成果が見えにくく、投資が続けづらいようにも見える。このバランスや位置づけについて、どのように考えているか。

後野:投資配分に正解はないが、テクノロジードリブンを0にしないことが重要だ。たとえ9対1の比率でも賭け続ける必要がある。テクノロジードリブンは当たれば大きいが成功確率は低い。一方でニーズドリブンは成功確率は高いが、一気に競争優位を高める力は弱い。その期待値のバランスをどう設計するかが鍵になる。また、「なぜこの技術開発を続けるのか」「それが実現したときどんな世界が訪れるのか」を短く語れることや前提条件・必要十分条件は何かをしっかり整理することが継続の説得力を左右すると考えている。

鹿野:自由度を与えつつ、事業方針の枠組みも必要だということか。

後野:その通りで、何でも自由にしてしまうと後で止めざるを得なくなったとき不満だけが残る。方向性の枠を示したうえで、その中で自由に取り組んでもらう方が健全だ。

鹿野:3つ目、「顧客ニーズの捉え方」についてはどうか。一般的には、顧客ニーズの把握はマーケティングの仕事と捉えられがちだが、R&Dやエンジニアはどう関わるべきだと考えるか。

後野:市場全体のニーズを測るのはマーケティングの役割だが、顧客の課題を技術に翻訳するのはR&Dの役割でもある。最初の行動観察や深掘りのインタビューはR&Dが担い、ニーズの仮説をつくる。その後、普遍性の検証はマーケティングが行う、といった協働が望ましいと思う。「顧客ニーズを拾ってくるのはマーケティングの仕事」という線引きはナンセンスであり、最初の顧客理解から一緒に取り組むべきだ。

鹿野:最後に「イノベーション・新規事業におけるリーダーの役割」について、新しい事業やテクノロジードリブンのテーマは、初期段階では成功確率も見えない中でコミットが求められる。経営として、どう向き合うべきだと考えるか。

後野:基本は「聞く姿勢」が重要だ。新しい技術や事業は不確実性が高く、最初の段階では価値が見えにくい。だからこそ、経営側が好奇心を持って現場の考えに耳を傾け、何を目指しているのかを理解しようとする姿勢が欠かせない。エンジニアには生成AIのようなツールを活用しながら専門性をかみ砕いて伝える責任があるし、経営側もそれを咀嚼(そしゃく)する必要がある。双方が歩み寄ることが、イノベーションを前に進めるうえで重要だと考えている。

中村:R&Dは業界ごとに特徴があるように見えて、実は本質的な視点や考え方は共通していると改めて感じた。医療機器と食品という異なる領域を経験した後野氏だからこそ、その共通項がより立体的に浮かび上がったと思う。

  1. トランスレーショナル・リサーチとは、アカデミアで研究者らが基礎研究を重ねて見つけ出した新しい医療の種を、実際の医療機関等で使える新しい医療技術・医薬品として実用化することを目的に行う、非臨床から臨床開発までの幅広い研究を指す ↩︎
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